母が教えてくれたこと

ブログには私事は書かないスタンスなのですが、今回だけ書きますね。先日母が急逝しました。

施設近くの公園で

急逝と言っても、実は2年前の1月にがんのため危篤状態になったことがありました。覚悟して親族や友人を呼んだのですが、母の友人がみんなおしゃべりで、危篤状態の母におばさま方が話しかけ続けていたら、なんと奇跡的に回復してしまいました。その後、老人施設に入所しましたが、がんはそのまま進行しており、「いつ何が起きてもおかしくない状態」と言われながら先日を迎えたという感じです。

母が描いた水墨画と書

父はずいぶん前に他界したのですが、趣味の水墨画を書いたり、カラオケしたり、プールでウォーキングしたりとお友だちと交流しながら、アクティブに過ごしていた母でした。

そして、福祉作業所でボランティアしていたこともありました。障がい者のみなさんの作業をサポートしていたみたいで、作業所の皆さんからいただいた色紙もありました。

施設での書道教室

 

 

老人施設でも友だちを作り、最近では女子会と称してトランプをしたり、おしゃべり会をしたりと、それは楽しく暮らしていたようです。施設のアクティビティにも積極的に参加して、 習字(教えてはいませんでしたが師範だったので、金賞をたくさんいただきました)をしたり、フラワーアレンジメントなどにチャレンジしていました。病気からすれば苦しむ時間が長いものだったようですが、急変したのが亡くなる前日だったので、苦しむ時間が短かったのは何よりだったと思います。

私の方は2月末から毎週連続して遠方への講演があったのですが、ちょうど一段落したころでした。遠方で働くムスメも出張先から直接帰省してきてくる予定だったという絶妙なタイミングは、なんとも母らしいとしか言いようがありません。急変してから意識はかなり朦朧としていましたが、長男と末っ子も駆けつけてくれ、ムスメは(間に合いませんでしたが)出張先の空港から電話をくれて末っ子が母の耳にあてて携帯から声を聞かせてくれました。きっと孫たちの声は聞こえていたんじゃないかなと思います。

施設で編み物をしたいということで毛糸と編針を持っていきましたが、自分でポシェットを作成して使っていたら、友だちも欲しいと言われたらしく、何人かに作ってプレゼントしていたようです。亡くなったあとに施設の部屋に行ったとき、手編みのポシェットとお手紙を発見しました。お世話になった施設のソーシャルワーカーさんへのお礼の手紙とポシェットでした。母に代わってお礼をお伝えしてお渡ししましたが、用意してあったけれど、まだ渡せていなかったのか。こまやかな配慮に関心しました。

そして、葬儀の準備をしていると自分で決めた戒名や「○○という名前が嫌いだったので、「○○子」と必ず「子」をつけてください」などの要望がノートにいくつか書いてありました。意志がはっきりしていて、本当に改めてあっぱれな母だったなぁと脱帽するばかりです。もちろん葬儀なども母の要望通りに執り行いました。

そんな母から教えてもらったこと。私が小学生の時に作文に書いた覚えがありますが、私がお手伝いすると「ありがとね」という言葉をかけてくれたこと。この言葉をかけてもらうのがうれしくて、よくお手伝いしていました。今、私が講座でも「家族の中で、ありがとう、おいしいねなどの言葉を伝えあうことが大事」とお伝えしているのは、私への母のかかわりがベースになっています。

そして私の意志をいつも尊重し、応援してくれていました。「がんばってるね」と何度言葉をかけてもらったかわかりません。これも、講座で「子どもに決めさせて応援する」とお伝えしているベースになっています。

おしゃれで、チャーミングで、いつも前向きだった母を誇りに思います。

母から受け取ったたくさんのことを、これからもみなさんにお伝えし、少しでもお役に立てたらと思っています。